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◇いま関わっている活動、これまで関わってきた活動
私が、いまもっともちからをいれて関わっていることは、「障害」と「女性」という二つのテーマにまたがる問題です。障害がある女性たちの運動史の記録を自分の大切な仕事と位置づけ、さまざまなかたちでその作業を続けています。
私は、これまでに70年代の日本のウーマンリブ運動についてのドキュメンタリー
『30年のシスターフッド』を山上千恵子さんと共につくり、それをもってアメリカや遠くトルコのイスタンブールの女性映画祭にまで参加する機会をもらいました。
そもそも、この作品に関わるきっかけも、「SOSHIREN・女(わたし)のからだから」のメンバー米津知子さんとの出会いにもらったと言えると思います。米津さんは、障害のある女性でもあり、ウーマンリブに深く関わった女性の一人でもあります。私は、彼女の話をきき、日本のウーマンリブに関わった個々の女性たちが、現在、どんな生き方をしているか知りたいと考え、作品づくりに携わりました。
作品では、障害というテーマは見えないものとなってしまったのですが、さまざまな場所で上映の機会を得るなかで、運動史を残し、記録していく事の大切さを感じてきました。これは障害女性の運動史の記録という自分のテーマと重なるところです。
運動は、その運動を生きていた人たちにとっては、過ぎ去った過去のものにはならず、常に、自分の隣にあるテーマであったり、具体的な人とのつながりであったりします。このドキュメンタリーをつくったときも、それぞれの人にとって、大切な出会いは、色あせずに、今の自分をつくった土台として、つい先日のことのように思い起こされるのだなと感じました。ただ、そうした『大切な思い』や『歴史』は、記録し伝えることをしないと、その運動に関わっていない世代や人たちには、伝わらないということもまた事実だと思います。実際、『30年のシスターフッド』をみた人のなかには、こうした運動が日本にあったということを驚きと共に知ったという人が何人もいました。小さな作品ではありますが、この作品が、さまざまな場で、ウーマンリブとの出会いを生んだ、ということは、私にとってもとてもエキサイティングなできごとでした。
◇障害女性運動につながるまで(それらに関わるきっかけ)
私自身は、大学時代にある脳性マヒの女性にであったことがきっかけで、それまで特に関心を持たずにきた障害者に関わる問題に関心をもつようになりました。正確には、
《障害者》という言葉やその周辺の福祉系と言われるような活動に、「偽善的」な雰囲気を感じ、近寄りたくないなという思いを持っていたといえるかもしれません。いま思えば、そうした雰囲気によって出会いがずいぶん遅くなったというか、遅らせられてきてしまった…とも感じています。
私が出会った脳性マヒの女性は、関西青い芝の会という運動に関わっていた活動家でもあったのですが、それ以上に、人としてのおもしろさと魅力にあふれた人でした。
彼女から、障害者として規定されて生きることの困難さと、障害者という位置におかれたからこそ見える、今の社会のおかしさ、そして、そのおかしさをユーモラスなかたちで問題にしていくおもしろさを、教えてもらいました。それから私は、障害女性たちに、介助や活動を通して、日々関わるようになると同時に、障害女性たちによる、不屈の、そしてユーモアにみちた運動があったことを知りました。そして、それを私だけに留めずに広げていこうという気持ちをつなげてきました。
◇これからの活動
今年(2007年)は、7月に韓国からゲストを招き、「障害女性の現状と未来を語る」という集会を私も関わって企画しました。集会では、韓国からの活動報告とあわせ、日本での優生保護法撤廃や子宮摘出手術に対する問題提起の過程、さらに同性介助の原則がつくられた歴史的経緯などを堤愛子さんに話してもらいました。また、9月には、韓国でDPI(障害者インターナショナル)世界会議が開かれ、そこでも障害女性をテーマにした分科会がいくつももたれました。
私は、少なくとも今は、障害をもつ当事者ではありませんが、障害者を障害者として規定する社会の一員として、障害者問題に強く関心をもち、関わる選択をしています。
それは、たぶん私自身が、「障害」というテーマに関わり、具体的には介助などをとおして、さまざまな生活をしている人たちに関わってきたことで、今の自分がひろがってきたという実感があるからだと思います。 自分の得た、そんな<ひろがり>という気持ちを広げていくためにも、さまざまなかたちで、これまでの運動やこれからのこと伝える仕事ができたらと思っています。
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